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弁護士の小賀坂徹です。

 

1年前のブログにノエル・ギャラガーのアルバム『チェイシング・イエスタデイ』について書いた。

そこで「オアシス解散後のノエルとリアムの音楽活動をみるにつけ、分かりきっていたことではあったが、オアシスはノエルだったということを嫌というほど思いしらされる。」と指摘したのだが、

今回のリアムのニューアルバム『AS YOU WERE』はいい意味でその思いを大きく裏切るものだった。

つまりもの凄くよかったのだ。

 

リアムはオアシスのフロントマンだったから、ヴォーカリストとしてのパフォーマンスには自信があったに違いないが、トータルとしてのミュージシャンとしての能力には自信はなかったのだと思う。

特にソングライティングについては、ノエルにコンプレックスを抱いていたのだろう。実際、オアシスのほとんどの楽曲はノエルの手によるものだったから。

 

そういう意味では、リアムがオアシス解散後、ソロでなくBeady eyeというバンド活動を始めたのは十分頷ける。

Beady eyeはオアシス同様のギターロックのバンドだったが、楽曲は何というかオアシスにあった『コブシ』がそのまま抜け落ちたような、癖もなく平板で印象の薄いものだった。

このバンドも2年ほどで解散し、その後は音楽活動そのものを休止してしまっていた。

この間、ノエルが「リアムはソロアルバムを作るべきだ」と発言したこともあったが、

リアムは「ソロ?頭イカレてるのか?」とツイートしたという(ライナーノーツより)。

相変わらずの兄弟関係だが、リアムのもともと抱いていたコンプレックスと音楽活動に対する熱が薄れていることを示すエピソードであろう。

 

しかし、そんな低迷期を経た後、満を持してリリースしたのが今回の新作『AS YOU WERE』である。

この作品でのリアムのヴォーカルは、オアシス全盛期を彷彿させるご機嫌なもので、ロックシンガーとしての再生を感じさせる。

そして、何よりリアムのソングライターとしての才能が開花したともいえる出色の作品が並んでいる。

共作も多く、またプロデュースの力もあるのだとは思うが、リアムのイニシアティブで出来上がったものであることは間違いなく、オアシスとは一味違ったニュー・リアムの誕生を思わせる佳作の数々である。

ジャケットに自身の顔のクローズアップをどーんと持ってきているのも、この作品に対するリアムの自信を表しているし、

何より『AS YOU WERE(もとへ)』というタイトルがリアムの自立への決意を物語っている。

セールスも好調のようだし、ギターロックが好きであれば、とにかく聴いてもらいたい。

 

さて今月末には、ノエルの新作もリリースされる。

先行シングルを聴くと、これまでになく自己肯定的でキャッチーなものに仕上がっており、

ちょっと期待と違っていたのが気になるが、楽しみであることに違いない。

 

リアムもノエルも活躍するようになると、念願のオアシス復活ということに近づいてきていると思いたくなるが、こればかりは簡単ではないだろうな。

 

 

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弁護士松浦ひとみです。

 

ここ数年、関東学院法科大学院で、「子どもの人権に関する法実務」という教科を教えています。

 

講師は私を含め3名で、全15回の講義を分担して担当しています。

ロースクールで講義、というと、大教室でたくさんの大学院生に囲まれているイメージを想像されるかと思いますが、

実際には、ここのところ、受講者は少なく、去年も今年も、何と1人!

今年は開講されないのでは、という予測を毎年裏切り、細々と、講義が続いています。

 

3名の講師全員参加の授業では、模擬接見の講義などもしています。

私が、事件を起こした少年になりきり、自身が担当した少年事件を題材にしながら、

生徒さんを質問攻めにして、困らせたり(?!)しながら、実践を積んでもらっています。

 

私の担当は、重大少年事件に関する分野です。

私自身、少年事件についてはそれなりの件数をこなしていますが、

重大少年事件については経験が豊富、というわけでもなく、

勉強しながら、逆走事件や、最近の法改正などについて、講義しています。

 

今年も、4月から7月まで講義が行われ、8月に成績会議を行い、無事に終了し、ほっとしています!

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事務局Tです。

 

昨年10月急逝した、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダの遺作「残像」を見ました(2016年 ポーランド 1h39  カラー 岩波ホール)。

 

物語は、実在の画家(ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ)の晩年にあたる1949年から1952年の4年間を描いています。

 

画家は、第一次大戦で右足、左手を失いましたが、第2次大戦前は、ポーランドの都市にあるウッチ造形大学で教授となり「視覚理論」-残像は、ものを見た後網膜に残る色であり、「見る」という自由の概念が存在するという造形理論のもとポーランドの前衛美術の担い手として活躍し、学生達の信望も厚く制作に励んでいました。

 

第2次大戦が終結し、ポーランドはソ連の支配下に置かれ、スターリン主義の原則のもと国家の政策と異なるもの全てが禁じられ、従わないものは排除され、破滅に追い込まれる時代に変貌していきます。

 

画家は、作品に政治を持ち込むことを拒み、独自の芸術を追究しますが、そのことで迫害され、美術館に展示されていた作品は破棄され、学生達と開催の準備をしていた展覧会は、跡形もないほど壊滅される徹底的な圧力に曝されます。

 

画家は、大学を追われ、画家としての身分証も奪われ、食料配給権さえも支給されず、漸くありついたアルバイトで得たお金で画材や食料を買おうとしても、身分証や食料券を提示しない者には売ってもらえず、貧困と結核におかされ、最後は、片足、片手の身にマネキンを運ぶ重労働中に倒れ、ショウウインドウの中に並ぶマネキンに埋もれて死んでいきます。

 

ただ、監督は、画家をヒロイックな芸術家として描いているのではなく、彼の負の部分にも目をむけています。彫刻家の妻との離婚、その死も知らされず、一人娘を引き取りますが、家の中は、学生達が頻繁に訪れ占拠し、課外授業のような場に自分の居場所を見つけられない娘は、寄宿舎に戻って行きます。

 

娘の履く雪水の浸みる靴に気づきながら新しい靴を買ってやれない悲しみを悟られないようにする父。父親に愛憎を抱く娘ですが、父親と会うときは、友達に靴を借り、寄宿舎で支給してくれたから心配しないでも大丈夫と気遣う。親子の切ない愛情さえひきさいていきます。

 

映画の最後は、父の死にも立ち会えなかった娘が、うつむきながら雪道を寄宿舎へと立ち去る後ろ姿を追い続けます。この過酷な社会で少女の背負うものの重さを思うと、果たして大人になるまで生きていくことができるのだろうかという思いに胸がしめつけられます。

 

ワイダ監督の最後の作品となったこの映画は、共謀罪が施行され、じわじわと絡め取られるような閉塞感のなかにいる私たちに、あらためて「自由」の意味をなげかけている思いがしました。

 

 

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