2016年7月6日

9条ブランドは死んだのか

弁護士 小賀坂徹です。

 

バングラデシュの首都ダッカの飲食店を武装グループが今月1日夜(日本時間2日未明)に襲撃したテロ事件で、

人質20人が死亡し、その中に国際協力機構(JICA)のプロジェクトに従事していた日本人の男性5人、女性2人が含まれていた。

 

何ともやりきれない気持ちになる。許せないと思う。

いかなる立場でも、いかなる政治的主張があったとしても、

暴力や人の殺傷という手段で目的を遂げようとすることは断固拒否する。

世界中にはびこっている憎しみと暴力の連鎖を何とか断ち切れないのかと心から思う。

 

それにも増して、今回、銃弾に倒れる前、

日本人男性が「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート」(私は日本人だ。撃つな)

と言ったと報道されたことが胸に突き刺さる。

 

「アイム・ジャパニーズ」という言葉に込められた想いは、

「自分はあなた方に敵対するものではない」ということだったに違いない。

実際、彼らはバングラディシュのインフラ整備等のために献身的に働いていたのだろう。

しかし、それ以上に日本がこれまでイスラムの人々に1度として武力攻撃したことがないこと、

つまり9条を持つ国であることを伝えたかったのではないだろうか。

 

アフガニスタンで潅漑事業や農業指導に従事しているペシャワール会の中村哲医師は、

かつてのインタビューで次のように述べていた。

 

 「僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。

でもね、向こうに行って9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる。

これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。身体で感じた想いですよ。

武器など絶対に使用しないで平和を具現化する。

それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。

それを現地の人たちも分かってくれているんです。

だから政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ守ってくれているんです。

9条があるから海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。

それが本当の日本の強みなんですよ。」(2008年4月30日)

 

これほど説得力のある言葉はないと思う。

 

しかし、このインタビューの直後の2008年9月にペシャワール会の伊藤和也さん(当時31歳)が拉致され殺害された。

 

中村医師は先ほどのインタビューで次のようにも述べている。

 

 「でもね、そういう日本人への見方というのも、最近はずいぶん変わってきたんです。

一番のきっかけは湾岸戦争。そして、もっとも身近なのは、もちろんアフガン空爆です。

アメリカが要請してもいない段階で、日本は真っ先に空爆を支持し、その行動にすすんで貢献しようとした。

その態度をみてガッカリしたというアフガン人は本当に多かったんじゃないでしょうかね。」

 

海外で心底その国のために献身的に働く日本人がテロの凶弾に倒れるその理由は、

むしろ国内政治のあり方にあるのではないだろうか。

 

特に21世紀に入ってから、この国は憲法9条を悉く蹂躙してきた。

テロ特措法を成立させ、アフガンへ爆撃機に自衛隊の艦船が給油を行う、

イラク特措法を成立させ重武装の自衛隊がイラク国内で活動する、

そして極めつけは昨年の安保法(戦争法)の強行採決である。

 

こうした政治の流れが、これまで9条によって護られていた海外で活動する日本人の命を危機にさらしている。

 

JICAの理事長は、安保法制懇の座長として、集団的自衛権行使容認の閣議決定を支えてきた北岡伸一氏であることは極めて象徴的であるように思える。

 

「9条は命を護る」

 

このことを今回の出来事は改めて深く示したのではないだろうか。

だから9条ブランドを捨てるのでなく、今こそ9条ブランドを再構築すべき時なのだ。

 

今度の参議院選挙は、そのことが問われている。