弁護士 小賀坂徹です。
バングラデシュの首都ダッカの飲食店を武装グループが今月1日夜(日本時間2日未明)に襲撃したテロ事件で、
人質20人が死亡し、その中に国際協力機構(JICA)のプロジェクトに従事していた日本人の男性5人、女性2人が含まれていた。
何ともやりきれない気持ちになる。許せないと思う。
いかなる立場でも、いかなる政治的主張があったとしても、
暴力や人の殺傷という手段で目的を遂げようとすることは断固拒否する。
世界中にはびこっている憎しみと暴力の連鎖を何とか断ち切れないのかと心から思う。
それにも増して、今回、銃弾に倒れる前、
日本人男性が「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート」(私は日本人だ。撃つな)
と言ったと報道されたことが胸に突き刺さる。
「アイム・ジャパニーズ」という言葉に込められた想いは、
「自分はあなた方に敵対するものではない」ということだったに違いない。
実際、彼らはバングラディシュのインフラ整備等のために献身的に働いていたのだろう。
しかし、それ以上に日本がこれまでイスラムの人々に1度として武力攻撃したことがないこと、
つまり9条を持つ国であることを伝えたかったのではないだろうか。
アフガニスタンで潅漑事業や農業指導に従事しているペシャワール会の中村哲医師は、
かつてのインタビューで次のように述べていた。
「僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。
でもね、向こうに行って9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる。
これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。身体で感じた想いですよ。
武器など絶対に使用しないで平和を具現化する。
それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。
それを現地の人たちも分かってくれているんです。
だから政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ守ってくれているんです。
9条があるから海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。
それが本当の日本の強みなんですよ。」(2008年4月30日)
これほど説得力のある言葉はないと思う。
しかし、このインタビューの直後の2008年9月にペシャワール会の伊藤和也さん(当時31歳)が拉致され殺害された。
中村医師は先ほどのインタビューで次のようにも述べている。
「でもね、そういう日本人への見方というのも、最近はずいぶん変わってきたんです。
一番のきっかけは湾岸戦争。そして、もっとも身近なのは、もちろんアフガン空爆です。
アメリカが要請してもいない段階で、日本は真っ先に空爆を支持し、その行動にすすんで貢献しようとした。
その態度をみてガッカリしたというアフガン人は本当に多かったんじゃないでしょうかね。」
海外で心底その国のために献身的に働く日本人がテロの凶弾に倒れるその理由は、
むしろ国内政治のあり方にあるのではないだろうか。
特に21世紀に入ってから、この国は憲法9条を悉く蹂躙してきた。
テロ特措法を成立させ、アフガンへ爆撃機に自衛隊の艦船が給油を行う、
イラク特措法を成立させ重武装の自衛隊がイラク国内で活動する、
そして極めつけは昨年の安保法(戦争法)の強行採決である。
こうした政治の流れが、これまで9条によって護られていた海外で活動する日本人の命を危機にさらしている。
JICAの理事長は、安保法制懇の座長として、集団的自衛権行使容認の閣議決定を支えてきた北岡伸一氏であることは極めて象徴的であるように思える。
「9条は命を護る」
このことを今回の出来事は改めて深く示したのではないだろうか。
だから9条ブランドを捨てるのでなく、今こそ9条ブランドを再構築すべき時なのだ。
今度の参議院選挙は、そのことが問われている。
弁護士松浦ひとみです。
皆様、横浜市の市立小学校、中学校に、
2011年3月の東京電力福島第一原発事故によって放射性物質に汚染された「指定廃棄物」が、
5年以上も、置かれたままになっていることを、ご存じですか?
「指定廃棄物」は、1キロあたりの放射性セシウム濃度8千ベクレル超で汚染濃度が高く、
処理の責任は政府にあります。
ところが、処理法や場所が決まらず、横浜市の小学校、中学校に、
5年以上も暫定保管されているのです。
指定廃棄物を公立校に置いているケースは全国になく、
専門家も、「環境省の怠慢、1日も早く教育現場から撤去すべきだ」と指摘しています。
このニュースは、過去にも取り上げられていましたが、6月21日に、ヤフーニュース(神奈川新聞)で大々的に報道されました。
放射性廃棄物を学校に“放置” 横浜市、5年以上も
(クリックすると別ウインドウにてYahoo!ニュースのページが開きます。)
横浜市は、この問題を、きちんと、保護者や近隣住民に公表、説明しないまま、
ひっそりと、5年間、保管し続けてきました。
子ども達は、このような危険物が学校内にあること知らされないまま、
放射性廃棄物が保管されている場所のすぐそばで、学校生活を送っています。
また、横浜市内には、8千ベクレルを超えないものの、放射能に高濃度に汚染された廃棄物が保管されている小中学校、保育園が数多く存在します。
このような放射性汚染物が、特に放射能の感受性が強い子ども達の生活空間にあってよい訳がありません。
様々な方達の働きかけにより、横浜市は、ようやく、学校外での保管について検討を始めていますが、
移動先の選定も困難であり、これからが正念場です。
そこで、皆様にお願いです!
7月12日までに、皆様の署名を集め、市長にプレッシャーをかけたいと思いますので、
皆様、是非、ご協力をお願いいたします!!
横浜の学校・保育園の放射能汚染物の施設外管理を要望します!
こちらのご署名もお願いいたします。
(クリックすると別ウインドウにて署名ページが開きます。)
弁護士 小賀坂徹です。
被爆者援護法によって、広島・長崎の原爆被爆者が放射線の影響によって病気になった場合、
原爆症と認定され医療特別手当が支給されることが決まっています。
しかし、従来「原爆症」の認定基準は非常に厳しく、
被爆者が自分の病気は放射線の影響だと申請しても、ほとんどが却下されてきました。
この制度の改善を求めて、2003年から2004年にかけて全国の被爆者が集団提訴を行いました。
神奈川でも13人の原告が提訴し、私が弁護団事務局長を務めました。
集団訴訟のほとんどは被爆者が勝訴したものの、国は悉く控訴、上告を続けたため、
なかなか解決できないまま時間だけが過ぎました。
もともと原告の被爆者は高齢であり、しかも重篤な病気を抱えているため、
国が解決に背を向けている間に、多くの原告が亡くなりました。
裁判に勝っても、解決をみないまま亡くなっていった被爆者の無念を思うと胸が締めつけられました。
その後、漸く2008年3月に新基準(新しい審査の方針)が作られ、2013年12月にそれが確定しました。
新基準は前のものと比べると前進したものの、
爆心地からの距離や爆心地に入った時間、認定を受ける病気の範囲について不合理な線引きが残ったままで、
長年闘ってきた被爆者の希望を打ち砕くものでした。
こんな基準では、またまた被爆者は裁判を続けなければならない、国を訴え続けなければならないと思いましたが、
案の定、再び各地で原爆症の認定を求める裁判が起こっています(ノーモア被爆者訴訟)。
そのひとつの東京地裁の裁判について、谷口豊裁判長は2016年6月29日、
被爆した6人全員を原爆症と認める判決を言い渡しました。
この判決については、私の同期の弁護士のブログに詳しく書かれているので紹介します。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟で画期的な判決、新認定基準から外れていても原爆症を認める。国は控訴するな!
(クリックすると別ウィンドウで開きます)
しかし、国は再び控訴する構えを崩していません。
国に控訴するなという声を集中しましょう。
高齢で病気を抱えた被爆者が国を相手の裁判を続けていくことは本当に困難が伴います。
被爆者がせめて生きているうちに何とか救済の手をさしのべて欲しい。
それが自らの身体を張って、私たちのために核兵器の被害を訴え続けてきた被爆者の皆さんに報いる道だと思います。