2021年07月

弁護士小賀坂徹です。

 東京オリンピックの開会式の夕方、何となくそこから最も距離のある場所に身を起きたいと思い、

 かねてから観たいと思っていたビリー・アイリッシュのドキュメンタリー映画『世界は少しぼやけている』を立川まで観にいってきた。

 はるばる立川まで行ったのは、その日立川でしか上映していなかったからで、

特別な理由はない(正確に言うと吉祥寺でも上映していたが、時間が午前9時だったので論外だった)。

 ボクは元来ギターバンドが好きで、ロックの持つ爽快感、疾走感、高揚感(しかしこれらはあくまでも内省的なものに裏打ちされていなければならぬ)を好んでいる。

 そのど真ん中にあるのはEストリートバンドと組んだ時のブルース・スプリングスティーンであり、ちょっと古いがU2やオアシス、アークティックモンキーズであったりする。

 ビリー・アイリッシュは内省的であることを除けば、これらとは真逆である。

 ロックのカタルシスとはおよそ無縁で、むしろ不安であり不協であり、かつ危うさが溢れ出ていて、息苦しいほどの感傷にいざなわれていく。

 でもどういう訳か、彼女にものすごく惹きつけられるのだ。

 2020年のグラミー賞の主要部門を総なめにしたbad guyのPVの独特の映像やあの印象的な間奏のフレーズ、

2021年のグラミー賞のeverything i wanted、007のテーマ曲No Time To Die、それぞれテイストは異なるがどれも圧倒的に心を揺さぶられる。

 もうすぐ2ndアルバムがリリースされてるが(7月30日)、ここでもまた違った彼女が表現されているに違いない(ビジュアルだけでもトレードマークだったネオングリーンの髪はプラチナブロンドに変わり、

白目を剥いた風のカラコンを入れたエクソシストのようなジャケットは、憂いを帯びたバストショットになっている)が、根底にある不安定さはきっと変わっていないだろう。

 さて映画であるが140分もの上映時間のほとんどすべての間、ボクの心臓は強く脈打っていて、

ずっと胸が締め付けられるような感覚に支配されていた。

 それは彼女自身の不安定さを何ら包み隠すことなくさらけ出していたからに他ならない。

 そして、この10代の彼女の不安定さが、ボクの自身の不安定で未熟な心を思い切り揺さぶるからなのだ。

 かつて高野悦子は『20歳の原点』の中で、「独りであること、未熟であること。それが私の20歳の原点である。」と書いたが、現在のオレのおっさんの原点もこれと大差ない。

 揺るぎなき安定を手にすることができればどれ程いいだろうかと思うが、実際は未だに迷ったり悩んだりばかりで、未熟で不安定なままなのだ。

 だから彼女に激しく共鳴してしまう。

 ビリー・アイリッシュもいつか揺るぎなき安定を手にする時が来るのだろうか。

 自己肯定感に溢れた彼女の音楽がどのようなものなのか、それはそれでとても気になる。

自由法曹団通信から転載