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 弁護士小賀坂徹です。

 二転三転した挙句、すべての住民に一律10万円が支給されることになった特別定額給付金。しかし、実際に受けとった人はまだ多くないだろう。

 ここにきて、この給付金を巡る自治体の窓口の混乱ぶりが際立ってきており、そうした報道も相当目につくようになっている。

 自治体の窓口が混乱しているのは、特別定額給付金のオンライン申請をマイナンバーカード所持者に限定し、その方が早く受領できると喧伝されたため、カードを所持していない住民が新規にカードを作るため、窓口に殺到したのが一つの要因である。

 そして、もう一つは後に述べる電子証明書のパスワードのロックを解除して、新たなパスワードを再発行するために、多くの住民が窓口に押し寄せている。報道によるとどうも後者の方が多そうである。

その挙句、高松市ではオンライン申請を取りやめているし、他の自治体でも郵送申請を呼び掛けているという状況だ。一体、政府は何をやっているのかと嘆きたくなる。

 ここでマイナンバーカードを使った特別定額給付金のオンライン申請の方法についておさらいしておこう。

 まず、マイナンバーカードを利用してマイナポータルの個人サイトにアクセスしなければならない。そのためにマイナンバーカードに対応するカードリーダーを購入するか、スマートフォンにマイナンバーカードを読み込めるアプリをダウンロードしなければならず、これらには対応できるスマホの機種が限定されている(比較的新しいものなら対応しているが、古い機種だった場合スマホ等を買い替えなければならない)。

そしてサイトから申請書類をダウンロードし、必要事項を記載した後、電子証明書のパスワード(カード発行時に設定した英数字6〜16文字)を入力し、送信するという流れである。

電子証明書のパスワードの入力を5回連続で間違えるとロックがかかり、自治体の窓口でロックを解除してもらい、新たな暗証番号を再発行する必要があるので、前述のように窓口の混乱に拍車がかかっているのである。

そもそも、全くといっていいほど使う必要のない複雑なパスワードを記憶しておけという方がどだい無理な話で、今回の混乱状況は容易に予想できたことである。

 そう、今回の特別定額給付金を巡る混乱状況の原因は、給付金の受給にマイナンバーカードを活用したオンライン申請という方法をとったことにあるのである。

 そもそも給付金のオンライン申請にマイナンバーカードを使う必然性はまったくない。その証拠に、個人事業主に認められている持続化補助金のオンライン申請についてはマイナンバーカードもマイナンバーも全く無関係にできる仕組みになっているのである。他の給付金のオンライン申請も同様である。

 マイナンバーカードの普及率はもともと15%程度であり、その中で世帯主はさらに限定される。マイナンバーカードの所持者に限定してオンライン申請を認めるということは、そもそもその恩恵に預かれるのはせいぜい1割程度しかいないということが分かりきっていたということになる。

申請の選択肢を増やして、多くの国民が簡便な方法でできる限り給付金を受け取りやすくするようにしようとするのであれば、こんな方法はそもそも取りえないのだ。

 ではなぜマイナンバーカードの所持者に限定してオンライン申請を認めるということにしたのか。それはコロナ禍の危機的状況に乗じて、一向に普及の進まないマイナンバーカードの普及率を上げようとする魂胆からだ。それしかあり得ない。つまり動機が不純なのだ。

多くの住民が生活に苦しみ、一刻も早い支給を求めているときに、それと全然関係のない目的を持ち込むことによって手続きを複雑にし、自治体の窓口を混乱させ、自治体職員に過度の負担を強い、結果として給付が遅れるという状況を招いているのである。政府は、今の住民の苦しみをまるで理解していない、まさに犯罪的な所業である。

 繰り返すが、今回の混乱の原因は、特別定額給付金のオンライン申請に何ら必然性のないマイナンバーカードを無理やり使ったことにある。マイナンバーカードなどを用いずにオンライン申請の仕組みを作りさえすれば、こんなことは起きなかったのである。

 しかし、ここにきて自民党の中から、マイナンバーカードの所持を義務化するとか、預金口座をマイナンバーに紐づけるべきだとかという議論が起きている。完全なすり替えである。今回の混乱の原因は、マイナンバーカードの普及率が低いことでも、マイナンバーに口座が紐づけられていないことでもない。ほとんど普及しておらず、パスワードも忘れているであろうマイナンバーカードを、オンライン申請に使ったことそのものである。だからこれを教訓とするのなら、2度と給付金の申請にマイナンバーカードなどを使わないことだ。

 マイナンバーカードが普及しないのは理由がある。それは大した利便性もないのに、紛失や盗難にあったときのリスクは図りしれないからである。一生に何度あるかわからない給付金の受給が、こうしたリスクを乗り越えるベネフィットになるとは到底思えない。さらに預金の紐づけとなればなおさらだ。

 権力は正しく恐れる必要がある。権力の前で自分が丸裸にされるのを嫌うのは当然なのだ。個人の領域にやすやすと権力が踏み込んでくるのは勘弁願いたい。こう思うのはボク一人ではないはずだ。これこそがプライバシー権なのである。

 火事場泥棒とは、火事で混乱した現場で窃盗を働くことであり、転じて、人々が混乱している中で不当な利益を得ること、または利益を得る者をいう。コロナ禍という未曽有の混乱状態に乗じて、マイナンバーカードの普及を図ろうという不純な動機は火事場泥棒そのものであるし、その失敗に乗じてマイナンバーカードの所持の強制などに結びつけることもまた火事場泥棒のやり口といっていい。検察庁法改正の企みといい、どうやらこの政権はこうした体質をもっているといえそうだ。

カテゴリー: ブログ, 弁護士より |  「動機が不純」あるいは火事場泥棒のメソッド ~特別定額給付金支給の混乱の根本要因は何か~ はコメントを受け付けていません

弁護士小賀坂徹です。

ジョン・レノンの『イマジン』は、博愛主義の歌ではない。

「天国も地獄もなく、国境も宗教もなく、世界中の人々が平和に暮らしているところを想像してみよう。」というのは批判や言い争いをやめて、ひとつになろうと言っているのでは全然ない。

 この曲はベトナム戦争に対する極めて明瞭な反戦メッセージである。「殺すな」と訴えているのだ。その対象は直接的には米軍であり、より普遍的には殺される側から殺す側に対する叫びであり、闘いである。だからこそ、「今は夢想家と呼ばれるかもしれない、たった一人かもしれないけど、いつかそれが多数になって世界は一つになる」という決意で結ばれている(このアルバムに収録されている『兵隊にはなりたくない』『真実が欲しい』などは、もっとストレートな政治的メッセージとなっている)。こういう内容なので、『イマジン』はイラク戦争や9.11などの際、アメリカやイギリスで何度も放送禁止の憂き目にあっているのだ。

 ロックの主題に自立や解放が取り上げられることは多い。そして優れた楽曲は、単に「立ち上がれ」とか「解き放て」などという抽象的なスローガンやカタルシスを超えて、自分を縛る鎖の正体を見据え、そこに闘いを挑むこと、それしか方法はないことを教えてくれる。

 そう、困難の正体や原因を突き止め、そこに闘いを挑んでいくしか、自立も解放も、その先にある幸福にも到達できないのだ。そして、重い鎖から解き放たれた後どこに向かって進んでいくのか、焼き尽くされた荒野に何を建設するのかこそが問題なのだ。批判をやめるなんてことは、単なる奴隷の振る舞いでしかない。

 今、新型コロナウイルスの感染の蔓延の中で、ほとんどすべての人々が疲弊している。疲弊どころか、明日の生活が成り立つのか心配する人も少なくない。どうしてこうなってしまったのか。新たなウィルスが世界的に流行することは人為的なものではないだろう。しかし、現在直面させられている困難は多分に人為的なものだと思っている。未だにPCR検査が一向に広がらないのは何故か。オリンピックの延期が決まった途端に「オーバーシュート」だの「ロックダウン」などと言い始めたのは何故か。どうして未だに1円の援助さえもされていないのか。何故いつまでたっても休業と補償がセットにならないのか。これには必ず答えがあり、首謀者もいるはずだ。今の困難を乗り越え、前に進んでいくためには、こうした洞察が不可欠だと思う。原因の究明なくして、課題の克服などできようがないからだ。そして常に責任の所在を明確にしなければならない。

 でも、世の中には「今は争う時ではない」「一つになろう」という気味の悪い同調圧力が広がりつつある。

 田崎史郎の「(政府の方針が二転三転しても)今はこの政権で頑張ってもらう以外にないんで、とりあえず我々も協力しながらやっていく以外にないんじゃないかと思います」というあからさまな物言いは不愉快だが、まだ分かりやすい。厄介なのは次のような言説である。

「わかったことがある。

  新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ。」

「責めるな。じぶんのことをしろ。」

  これは糸井重里のツイートである。

 さすがである。田崎の無防備な、ある意味率直な物言いと違って、ここにはいろんな逃げ道が周到に用意されている。「責めるな」といいつつ、何を責めてはいけないのかについて何もいわないところがミソだ。「『責めるな』というのは政府の方針のことではない。電車の中や、ドラッグストアやスーパーでの言い争い、あるいは中国への根拠なき中傷のことを指しているのだ」などという具合に。でも、「責めるな」といいつつ、その対象を明らかにせず、抽象的にそれをいえばいうほど、それはより大きなもの、つまり為政者の振る舞いに結びつく。それに続けて『じぶんのことをしろ』となると、本音が透けて見えてしまう。逃げ道を用意するというより、本音を巧みにカモフラージュしているといった方が適切かもしれない。

糸井が小狡いのは、人に「責め立てるな」といいつつ、その言葉で、自分もまたひとを責める者を責め立てていることだ。糸井の言説は、誰も責めるなといいつつ、自分もそいつを責めているというパラドックスに陥っていて、それ自体無効である。しかし、彼は多分それを自覚している。自覚しつつ、それを悟らせないように巧みに人を誘導しているのだ。しかし問題は「責めることを責める」のではなく、何について責め(批判し)、意見をぶつけるのかである。

 糸井の言説については、映画評論家の町山智浩が「糸井重里さん、もうレトリックはいいですよ。言いたいことをはっきり、『庶民はお上に逆らうな』『政府に補償を求めるな』『マスク二枚で満足しろ』『お前らは犬だ』『奴隷だ』と言えばいいじゃないですか」と喝破したことに尽きているだろう。

 しかし、こうした言説は糸井に留まらず、何人かのミュージシャンやタレントが言い始めている。田崎や糸井などある意味旗色鮮明な面々以外に広がっているのが気味悪い。

だから、ここひと月ほどの動きを振り返っておきたい。

 安倍首相が、唐突に全国の学校を一斉に休業すると宣言したとき、彼はそのために仕事を休まざるを得ない保護者のことは全く念頭になかった。国会でも、「有給休暇を取得しやくするよう企業にお願いする」などとトンチンカンなことを言っていたほどだ。しかし、それが大きな世論の反発を呼び、休業補償の手立てがとられることになった。しかし、当初そこからフリーランスは除外されていた。これについても痛烈な批判があり、不十分ながらもフリーランスの人々に対する手当がなされるようになった。

 PCR検査がまったく進まないことに対する大きな批判があり、現在でも不十分ではあるが、それが徐々に拡大していった。

 一世帯30万円の給付では、多くの国民の救済にならず、かつ手続も煩瑣だという圧倒的な批判を受け、1人あたり10万円の給付に変わった。

 こうしたことは枚挙に暇がない。政府の決定に悉く批判をし続けてきたからこそ、不十分ながらも多少はまっとうなものに変わってきたのではないか。今は緊急時だから、とりあえず政府に従っておきましょうなどと言っていたら、ひたすら暗闇にむかって突き進むだけだったのではないか。

 批判こそが、そして反論こそが、よりましな政策決定の原動力となっていることを、僅か1か月の間に嫌というほど我々は実感してきたのではなかったか。正当な批判によって、よりましな政策が実現されていく。これこそが民主主義ではないか。為政者は、こうした批判に耳を傾けながら政策を立案する責任をおっている。批判するなら対案を出せというのは間違いだ。批判されることが嫌なのなら、さっさと下野すればいい。

 「責めるな。じぶんのことをしろ。」ではない。批判すべき対象を的確に見定めることこそ重要だ。そして、そこに呵責なき批判を浴びせることだ。その共感をどのように広げていくのか、それこそが問題なのだ。そうすれば社会は確実に変わる。変わってきている。

 最後に、清志郎のイマジンの訳詞、糸井のツイートに対する武田砂鉄の痛烈な皮肉、そして糸井自身が2012年、つまり原発事故1年後にしたツイートで締めくくりたい。

  夢かもしれない

  でも その夢を見てるのは

  きみ一人じゃない

  世界中にいるのさ (清志郎)

わかったことがある。

「商売が成り立たない」「これからどうしたらいいかわからない」「だから補償を」という悲鳴を、こうやって「責め立てている」なんて変換されるのがつらいのだ。(武田砂鉄)

そうか。犬も猫も告発したりじぶんこそが正義だといい募ったりしないんだ。

ああ、大好きだ、あなたたち。(糸井重里)

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 弁護士小賀坂徹です。

 長年、仕事をともにしてきた友人が、故あって事務所を離れることになった。

 痛恨の思いである。

 ありったけの気持ちを込めて、この歌を彼に贈る。

 また仕事を一緒にできる日がくることを信じて。

You’ve Got A Friend.

落ち込んで困り果て

思いやりが必要で

何もかもうまくいかないとき

そんなときは目を閉じて 俺のことを思い出してくれ

すぐにお前のところへ行くよ

闇夜でさえも明るくしてやる

ただ俺の名前を呼べばいい

どこにいたって お前のところに駆けつける

冬であろうと、春、夏、秋であろうと

名前を呼びさえすればいい

俺はそこにいるから

お前には仲間がいる

かなたにある空が暗さを増し、たくさんの雲を呼び込み

そしてあのいやな北風が吹き始めても

慌てないで落ち着くんだ

そして大きな声で俺の名を呼んでくれ

すぐにお前のドアをノックしに行く

仲間がいるって素敵なことだろ

人はとても冷たくなることもある

そんなときはお前を傷つけて見捨てたり

魂までも奪ってしまうかもしれない

だけど、そうはさせない

ただ俺の名前を呼べばいい

どこにいたって お前に会いに走っていく

冬であろうと、春、夏、秋であろうと

呼びさえすればいい

俺はそこにいるから

お前には仲間がいる

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