弁護士 小賀坂徹です。
レディへ(Radiohead)の『ア・ムーン・シェイプト・プール』と一緒に、
実はノエル・ギャラガーの『チェイシング・イエスタデイ』も買っていた。
こちらは昨年リリースされたアルバムだけど、相変わらずの安定感であり、聴いてて嬉しくなる。
オアシス解散後のノエルとリアム・ギャラガーの音楽活動をみるにつけ、分かりきっていたことではあったが、オアシスはノエルだったということを嫌というほど思いしらされる。
オアシスはご承知のとおり、ギャラガー兄弟を中心に90年代初頭にデビューしたマンチェスター出身のバンドだが、
彼らはビートルズ、特にジョン・レノンに対するリスペクトをことある毎に口にしていた。
彼らの演奏する『アイ・アム・ザ・ウォーラス』なんかは出色である。
ボクが知らないだけかもしれないけど、イギリス(アメリカも同じ)の世界的ミュージシャンがビートルズ解散後、
ビートルズについて語ることは全くといい程ないか、逆にこき下ろすかのどちらかで、リスペクトしていることを堂々と表明するのはオアシスが初めてだったように思う。
ビートルズが余りに偉大で、同時代あるいは次世代のミュージシャンにとっては、それが克服の対象だったから、
仮にシンパシーを感じていたとしてもそれを口にすることをためらったのかもしれない。
ジョンが殺されて10年を経過して、漸くミュージシャン自身がその呪縛から解放されたのだろうか。
あるいは単純に世代的な「間隔」の問題かもしれない。
いずれにせよ、だから彼らがビートルズやジョン・レノンについて、いちファンとして語ることはとても新鮮で、嬉しかった。
そして、そのサウンドも初期のビートルズのようにロックの「開放感」を体現していて、心躍る感覚にさせてくれた。
オアシスは偉大なバンドとしてその地位を揺るがないものにしていたが
(特に日本のファンが多かったように思う。彼らの曲が何曲も日本の企業のCMに採用されていたことからもそれは明らかである)、
相も変わらずくり返される壮絶な兄弟喧嘩の果てに解散に至った。
冒頭書いたようにノエルがオアシスをきちんと引き継いでいることはありがたいが、
リアムの歌声やスタイルも捨てがたいボクとしては、もう一度2人が揃って演奏しているところを見てみたい欲求は捨てられない。
でも当分は無理そうだ。
レディへといいノエルといい、おっさんも頑張っているのである。
弁護士 小賀坂徹です。
かつては足繁く通っていたCDショップにほとんど行かなくなって何年ほどになるだろうか。
CDショップそのものの数も激減しているように思う。
そんな中、先日久しぶりに横浜のCDショップに行って、レディオヘッドのニューアルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』を買った。
ボクはロックミュージックに不可欠の要素は、
内省的であること、批判的(批評的)であること、社会性をもっていること、
言い換えれば自己と社会を対象化した上で表現活動が展開されていることだと思っている(もちろんエンターテイメントとして成立していることが前提だが)。
レディオヘッドというかトム・ヨークの音楽は内省的を遙かに超えて、
独自の精神世界を構築していて、聴く者をそこに引き寄せる強烈なベクトルをもっている。
そして、その世界にいざなわれることが、不安で憂鬱でありながらも何とも心地よいのだ。
『ア・ムーン・シェイプト・プール』はこれまで以上にオーケストラサウンドを効果的に駆使していて一種の安定感を感じさせる。
彼らは2000年に「ロックを捨てた」といった以降実験的なサウンドを作ってきたが、
本作は「ロック」への指向を感じさせる出来映えになっていて、ボクはとても好きなのだ。
このオープニング曲『burn the witch』は歌詞も意味深でメロディ、リズムともキャッチーなものに仕上がっており、
ミュージック・ビデオのクオリティもとても高い(ちなみに、このチェロの3重奏によるカヴァーもとてもいい)。
レディオヘッドの新曲「Burn The Witch」をチェロ三重奏でカバー
(クリックすると別ウィンドウが開きます。)
レディオヘッドは、今年のサマーソニックにヘッドライナーとして来日する。
サマソニに行きたくなってきた。
ご無沙汰しております。
弁護士 岩井知大です。
悩みがあってもまだまだ弁護士は身近な存在になっていないようです。
そこでこちらから出向くことにしました!
毎月第4火曜、桜木町駅前(野毛側)で街頭労働相談をやっています。
蕎麦屋の川村屋の前あたりです。
これまで2回実施したのですが、1時間30分で10人程度の相談者がいらっしゃいました。
石畑弁護士も一緒にやってますので、お気軽にお越し頂けたらと思います。